トランプの奇術師 ♣️

マジックの雑談、日頃感じた事など

ルーツを探る

昨年、乃木神社に久しぶり行った際は、幼少の頃、横に並ぶ赤い鳥居で遊んだ憶えがあって懐かしく思ったのですが。。先日、それよりも以前の姫島神社に行ってみたら、最初、んー、どうかなぁ、という感じでして。。でも、帰り際に、もう一度と思って振り向いたら、大きな木と本殿の構図に覚えがある感覚が蘇ってきました。。

 

なにぶん3才までの記憶なので、もう限界領域だと思います。。住んでいた所を見つけようと、事前にインターネットの地図で3ヵ所ほど目星を付けて回ってきました。。小学生ごろまでは帰省で行った事があるのですが、借地に建っていた古い家はもうなく、少しぐちゃぐちゃした道路の地形を探しながら、同じ姓の家が2軒向いに並んでいたので、多分この辺だろうなぁ、と。。

 

姫島は、元々、比売島と古事記に記されており、淀川の河口に80ほどあった小さな島の1つだったそうですが、奈良時代に開墾されて陸続きとなり、大正14年大阪市編入時に姫島となっています。。姫島神社は、戦争で焼野原となった所から出発したため、やりなおし神社、と言われ、樹齢900年の大きな木は、再出発の木、というそうです。。石碑に同じ姓が、数えたら 30 ほどありました。。

 

淀川べりのお墓にも行ってみたのですが、やはり同じ姓が多く、こちらも確かこの辺だったはずだが、と。。実は、高校か大学の頃、お墓の分離、という事に付き合わされまして。。先祖代々の多くの方が眠るお墓から祖父と祖母のお骨だけを抜き取るのですが、お坊さんが手を突っ込んでいくつか取り出して、これでヨシ、という事でした。。その後、元々のお墓の方は、永代供養でなくなっています。。

 

でも、お墓はあまり早く整えない方がいいです。。母親が、では、自分の墓になるから、と言い出して、あちこちの墓地に連れて行かれ、意見を聞かれるもののよくわからず、結局、晴れると海を挟んで出身地の神戸の六甲山が見える、丘の上に作ると自分で決めて。。その後、割と若くして、逝ってしまいました。。

 

ちなみに、母親の実家は、神戸の北、三田に近い道場という地で。。有馬富士が見え、川が流れ、僕は幼い頃、冬に畑でスイカが無いと泣いたそうで、祖母はいつもその事を笑って言っていました。。正月は餅つきをして、おろし醤油につけて食べるのが恒例で、今でも、その新鮮で熱く辛いもちもちした味を忘れられません。。今は、川の反対側へ移転してしまっていますが。。ちなみに、地名の由来は、聖徳太子の時代に僧侶が修行する地だったそうです。。

 

さて、姫島のお墓の横の堤防に久しぶりに登ってみたら、小学校の頃に見た淀川は全く変わらない流れでしたが、上流に見える人工的な高速道路や向かい側に立ち並ぶ高層ビルは、無かったなぁ、と、風が吹き抜ける中、ここが出生地なんだ、と、しばらくぼやっと眺めていました。。

 

小学生の頃にいた名古屋の興正寺、高照寺、五社宮、塩竈神社は、さすがに覚えていますが、また訪れてみたいな、と思っています。。塩竈神社は、1年間通った中学校の向かいで桜の名所ですが、ここは久しく行っていないので、また。。開校して最初の入学生でした。。

 

今まで東名阪に住んでいまして、数えると引越しは12回もしています。。子供の頃にいた地はどこも懐かしく、住めば都、という想いです。。

 

End